『紫式部集』: 至福のとき

式部がその晩年に編んだ『紫式部集』は、『源氏物語』五十五巻がどのように書かれたかを、わずか128首の歌と詞書で「物語ろう」とした空前絶後の挑戦だった。五十四巻ではなく五十五巻なのは、「幻」巻と「匂兵部卿」巻の間に、テクストのない「雲隠」という空白の巻をわざわざ置いたのが、式部自身であったからだ。どこにそんな証拠があるの?

 と言う読者のために、ぼくは『紫式部集』のちから相撲 メイキング・オブ・『源氏物語』 でその種明かしをする。

『紫式部集』の中で、式部にとっての至福は、五月五日の、「五」がたくさん並んだ66番歌を詠ったときに訪れたろう。『源氏物語』の構造が五言律にあることを、少なくとも後世にメッセージとして伝えることができたと確信したときだ。

        土御門殿にて、三十講の五巻、五月五日にあたれりしに

             妙なりや 今日は五月の 五日とて 五つの巻の 合へる御法も  (66)

しかも、「御法」巻が、『源氏物語』全体のクライマックスの巻であることを、示唆することができた喜びを!

 

     こんな戯れ歌を、歌集の中にわざわざ持ちこんで、どこがそんなに良い歌なの? と思われてもしょうがなさそうなのだから、古来『紫式部集』は殆ど評価されてこなかった。式部が一人で拍手してみても、それがどうした?!と思われただけなのだった。今までの読者は、みなさん、《『源氏物語』の物語》という『紫式部集』の主題が掴まらなかった。ということは、この歌集が「物語」になっているとは夢にも思わなかったのだ。

 

美しい歌集の「かたちsignifier」(埋めこまれた物語の起承転結)が捕まらなかったので、意味(主題)signified」が解るはずがなかった、ということだ。ましてや、そこに宇治十帖の作者が、秘かに登場していたなんて!

 

「五」が並ぶ極め付きは、41+1+13=55、つまり正編の41巻と続編の13巻の間に、「雲隠」というテクストをもたない空白の巻を式部が挿入して、最終的に『源氏物語』を全五十五巻にしたこと! これは、式部も小少将が生きている間は想定しなかった、最後のどんでん返しだった。続編の作者小少将が秘かに書き継いだ続編が全部で十三巻あったことは、小少将が死んで、あとに遺作として残されたとき、はじめて式部自身も知ったことだったはずだから。

 

結局、紫式部の人生は、運にも恵まれた。5月5日は55巻に大変身したのだ。