紫式部が作った『源氏物語』は「幻」までの40巻で、「匂兵部卿」巻以下の13巻は小少将という弟子の作品であることが、『紫式部集』の歌128首によって語られている。本書は「幻」巻までに詠われた歌589首が、いかに精緻に配列されているか、その結果、紫式部がこの物語で何を言いたかったか(主題)を解明する。行動の自由がなかった当時の女性たちを解放すべく、作者が命がけで作ったテクストが、今論理的に明証される。
この構造分析の過程で、『源氏物語』千年の注釈史の中で誤って注釈されてきたことが少しずつ判ってきた。その一例:
「柏木」巻は、女三宮と不倫した男を「柏木」と名付けたとするのは大間違いであったこと。その理由:(本書裏表紙の説明文)
「帚木」「賢木」「真木柱」のように、木は『源氏物語』では,行動の自由がない女性の象徴としての意味をもつ。しかしまた、「帚木」の空蝉、「賢木」の六条御息所、「真木柱」の娘のように、自分の意思ではない力によって、木から離され意外な身となる女性もいる。
柏木というニックネームで呼ばれて女三宮と不倫した男は、罪悪感から死んでしまう。その妻落葉宮に親友の夕霧が求愛し、拒否される歌のやりとりが「柏木」の巻末に置かれている――
夕霧「ことならばならしの枝にならさなむ葉守の神のゆるしありきと」
落葉宮「柏木に葉守の神はまさずとも人ならすべき宿の梢か」
柏の木は、枯れても葉が枝に残ることから、「葉守の神が宿る」という言い伝えがある。それを強引な言い訳として迫る夕霧を,落葉宮が身を躱そうとして詠う場面。しかし、そこまでテクストのどこにも落葉宮の夫が「柏木」と同定される場面はない。それどころか、「柏木に葉守の神はまさずとも(私に神がおられなくても)」と落葉宮が言うからには、この宮こそ「柏木」と呼ばれるべき人でなければ、物語の終わり近くまで木のモチーフを女性の不幸に連動させてきた作者の企みが崩壊してしまう。こうした人物設定の誤読は許しがたい。
「柏木」という巻は、落葉宮を象徴して名付けられたはずなのに、過去千年も読者はみな物語の鍵になる人物を読み違えてきたのだ。「落葉」と蔑まれてきた宮に「葉守の神」が宿っているという「まこと」こそ、作者が『源氏物語』の主題――夫源氏の不実による妻紫上の絶望と次世代に託す夢――に関わって、落葉宮を「柏木」と造形した理由なのだった。
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