文学作品の「構造signifier」と「意味(主題)signified」の密接な関係性を「文学分析の原理」と考えて、テクストを読むことに集中する。そこから見えてくる文学の論理性の中に、数理が大きな意味をもつことがある。その最高の例として、『源氏物語』や漱石晩年の作品群(『坑夫』[1908]から『明暗』[1916]まで)の数理がある。
モチいふ叢書01-04は、『源氏物語』、『紫式部集』、漱石小説群など最高の文芸作品の「構造signifier」が、如何に論理的な「意味signified」を表明することに役立っているかを明らかにする。その論理とは、今までほとんど全く議論されたことのない「数理による」論理性である。具体的には、『源氏物語』では、紫式部が書いた40巻――「桐壺」から「幻」まで――が中国の詩形である五言律(5字x8行=40字)を踏まえていること、さらにまた、40巻に配置された589首の歌が31首ずつ19のブロックに配置されて、物語の「情緒」面を意味づけていること、というように「数理」的に処理された「主題(意味signified)」――夫源氏の不実による妻紫上の絶望と次世代に託された夢――をもっているのである。
さらに、漱石の作品でも、『三四郞』(1908)は新聞連載の117回、『行人』(1912-3)は167回の連載だが、この二つの作品を足すと<284>、また、『それから』(1909)と『こゝろ』(1914)は共に110回なので、この二つを足すと<220>となる。220と284という二つの数はギリシャの昔から「友愛数amicable
numbers」として知られていて、<220:1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284>
<220=142+71+4+2+1:284> つまり、220の除数の和が284,284の除数の和が220となる
不思議な「友愛」関係で結ばれている。漱石は、こうした数理を文学テクストを「構造化」する手段に使って,個々の小説がお互いに「主題(意味signified)」の関連性をもつテクスト群の構築を図ったと言える。この構造分析で明らかになったのは、漱石の小説がみな「暗い」と読まれてきた過去100年の注釈史がほぼ崩壊したことだ。
なぜなら、『坑夫』(1908、新聞連載96回)から『明暗』(1916、188回)までの9作品が、すべて明るく終わるハッピーエンドの小説として読まなければ主題を見つけたことにならないからだ。
頌漱石! 頌紫式部!!