『源氏物語』の特質を若い世代に向けて説明する本を書いている。内容は、『源氏物語』の論理を明快に説明するために紫式部が援用した中国と日本の詩形(具体的には、五言律詩と和歌の音節――40と31)が、構想の段階から物語の構築原理(organizing principle)として採用されたことだ。
数理を物語の論理(説得力のある主題提示)に欠かせない方法として、膠着語性が高く長いやまとことばによる物語に、はっきりした「かたち[構造signifier]」を与えるには有効な手段だという認識が作者紫式部にあったということだ。それまで、『伊勢物語』『竹取物語』のように短い物語なら、その「意味(主題)signified」の抽出もそれほど難しい問題ではなかったが、『源氏物語』40巻のような、原稿用紙で2千枚にもなりそうな長尺の作品には、全体を統一する(テクストの首尾一貫性を明らかにする)なんらかの手段は必須だった。式部はその手本として、貫之の編集した『古今集』の数理を知っていた。20巻のうち、18巻までの歌をきちんと1000首数えるという方法だ。しかも、全体は1111首にまとめ、明らかに作為の感じられる、最後の11首を「墨滅歌」として見せ消ちにすると、読者は1100首がきちんと数えられた編集であることを疑えなくなる。
いい加減には作りませんでしたよ、と醍醐天皇に差し上げて喜んでもらえることが明らかな「作り」を貫之たち4人の編集者たちは知っていた。ならば、と式部は自分の「作り物語」の数理を<40字の五言律と31字の和歌>を、それと判らないように、テクストの中に隠したのだ。結果は大成功で、成立(ca.1008)以来1000年に亘って、だれにも指摘されずに生き長らえることができた。
文学は社会学ではない。「如何に生きるか」という仮説を提出するのが「文学」だが、その「観念性F」を五言律に、「情緒性f」を和歌に託して『源氏物語』40巻が成った。「幻」巻は「若菜上下」巻を2巻と数えれば、全41巻となるので、五言律をうまく隠すという超絶技巧も使われている。