『こゝろ』の110回 [新聞連載回数]
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1 先生と私(36) a(18)
b(18) 心臓(ハート)
2 両親と私(18) c(18)
3 先生と遺書(56) a(18)
b(18) K登場
c(18)
d( 2)
___合計___(110)_________
<ars longa, vita brevis.>(芸術は永く、人生は短い)
『こゝろ』を書いていた頃、漱石はこのようなラテン語のハンコを作らせました。自分が作る文学がほとんど誰にも評価されないまま、自分の生が終わることを予感して、自作品が長生きしてくれるように、との願いを籠めてです。(中島敦の「山月記」も同じmotifです。)
その願い通り、漱石の作品はここまで100年生きることができました。それは、『こゝろ』(1914)をはじめ、『坑夫』(1908)から『明暗』(1916)までほとんどの作品が誤読されてきたお陰です。なぜ100年も間違って読まれ続けたのか、それは、私たちがまともな文学教育を受けてこなかったからです。教室が崩壊し、文学部が瓦解する理由も、文学を教える教師たちが、実は文学が何かが判っていないからです。
中島敦の短篇すら、きちんと読めないのがここまでの日本の高校教育ですから、そうして大人になった若い教師たちが、これからの世代を育てられるはずがありません。しかし、この状況はすでに、漱石の頃から続いているのですから、今現場にいる教師たちを責めても仕方ありません。
日本が明治以来、行ってきた「近代化」が、漱石が批判したように「内発的」でなかったからでもあります。ひと (他人・他国)から言われてやってきただけ(ではなくても、ほとんどそう)だからです。この状況をどう変えられるか、そのためにも、漱石を改めて読み直す必要があります。
日本は「モノ作り」に長けていますが、「コト作り」は全くと言っていいほど、できていません。なぜか、それは、コト作りのために必須な言語的な作業が日本語でほとんど不可能だからです。論理的に運ばなければならない作業には、その土台が必要ですが、その機能が日本語に備わっていないからです。その一例は、日本語で数学が記述できないことです。
え?!と驚かれるかもしれませんが、<2+2=4>が日本語では読めません。<Two plus two equals four.>と<二足す二は四です。>は、同じ意味ではないことを、日本の数学の教師たちは知りません。日本語の<AはBです>という表現は、<Aを問題にするなら、私の判断はBです。>という話者の主観的な断定文であり、それでは、<A is B.><A=B.>という純粋にAとBが「等価」であるかどうかの問題提起文にならないからです。日本語では、問題を提起する「命題文」が書けないので、議論が正常に展開させられないのです。
西欧(中国)文学と日本文学の違いも同様で、日本文学で論理的に「コト」を運ぼうとするなら、どうしても(擬似的にも)数学の力を借りなくてはならないのです。この文章の最初に漱石の『こゝろ』の新聞小説回数を数えたのも、漱石は、自分の文学が論理的であるために必要な数値をまず考えて、その通りに小説作りをしたこと、その隠れた論理性が、『こゝろ』を過去100年生き延びさせたのです。文学における論理の根底にあるのは数理です。モチーフ(主題)を明確に論理化するために必要なのは、全体と部分との関係が数理で結ばれることなのです。中島敦の「山月記」もトーマス・マンの『魔の山』も7部分でできていて、それぞれに<7>である理由があります。
『こゝろ』は基本的に同じ分量の前半と後半の2部構成です。(18回を3回繰り返して、全体は二階建てになっています。)それに2回分の<コーダ(括り)>がついているのです。この構造はなんのためにあるか、を問わなければ、『こゝろ』が読めるはずがありません。
「雑記・ノート」に貼り付けたNHKの『こゝろ』特集批判をご覧ください。その番組が一言も言及しない、この『こゝろ』の構造こそ、今高校の教室で生徒たちが議論すべき『こゝろ』解読のカギなのです。
こんなきれいな構造にだれも目を向けない、それでは文学はできません。たまたま友人が、YouTubeで渡部昇一が宮崎美子との対談で『こゝろ』を語っているサイトを紹介してくれました。
渡部は若い頃感動して読んだ『こゝろ』が、いま読むと不自然でならないと苦情を述べています。それに女性の読者はもっと怒ってもいいはずと、宮崎を挑発しています。二人とも『こゝろ』が全く読めていないのですが、その根本的な理由は、文学のイロハが判っていないからで、ただの印象批評に終始しているだけです。背景にある渡部の膨大な蔵書が泣き叫んでいます。